東福寺方丈庭園を訪ねて

東福寺 方丈庭園
昨日、今日と寒い日が続いていますね。
春の三寒四温と同じように、秋から冬への移り変わりもまた、寒さと暑さを繰り消しながら進みますね。
ところで一年って夏が終わると秋を足早に通り過ぎてすぐに冬になる気がしませんか?
夏が過ぎると急に時間が加速していくような・・。
春と夏、秋と冬がどうしても頭の中でセットになっていて、なんとなく夏が終わって一年の半分って気にさせられるのでしょうか?
一年は冬から始まっているから当たり前ですが夏が終わると一年の三分の二程が過ぎているんですよね。
しかも日が一番長いのも本当は6月。
でも季節の上では夏で半分。
だから夏が終わると急に日が経つのを早く感じます。
もうクリスマス?もう年賀状?11月に入ると世の中がなんとなくそんなムードになりますね。
前置きが長くなりましたが前の続きを書きます。
今回の弾丸京都旅行では東福寺の方丈庭園、そして塔頭である光明院を訪ねました。
IMGP8759.JPG
両者とも昭和の作庭家「重森三玲」が作庭した庭です。
私の中で重森三玲というと、良くも悪くもなんとなく奇をてらった作風が多い気がしていました。
異素材や立ち石をふんだんに使う、創作竹垣、築山築造伝を古臭いと一蹴しているなど。
そして何より重森三玲の監修のイサムノグチ庭園美術館に見られる、私からすると少し派手な石使いがそのまま重森三玲の作風と思っていました。
どちらかというと伝統的な作風が好きなもので、今まであまり興味はそそられなかったのですが、今回方丈庭園、光明院の庭園には目を奪われました。
そして自分の勉強不足と思い込み、知識の甘さを反省しました。
確かに色々な写真で見るとおり石を立てて使う特徴的な作風や、切り石を使った幾何学的な庭園造りは独特な世界観で、伝統的手法とは異なる気がしますが、方丈庭園に関していえばそれまでの庭園造り同様、仏教や伝統にならったそれぞれちゃんと意味のある物だったんですね。
もちろん他の伝統庭園と比べると、異色で現代的な作風に属すると思いますが、伝統的な東福寺の方丈の空間にまったく違和感なく溶け込んでいて、写真で見るのとは違い本当にすばらしいものでした。
因みに方丈庭園の「方丈」とは住職が生活をする場をさすものです。なので南禅寺や他にも方丈庭園というのはいくつも存在します。
光明院も同様に、凛とした空気に包まれた静かな空間が広がっていました。
穏やかでありながら張り詰めた緊張感も感じ、それはきっとどちらも存在していて、見る側の心理状態で変わるのだろうと思いました。
当たり前のことですが、やはり庭は写真ではわかりませんね。
その場所を包む空気があってこそ良いもは一層良いものとして映ります。
作り手の想いがその庭に残っているんだな、と感じさせてくれます。
それから天候や季節でも違った見え方感じ方をすると思うので、一つの庭を何回か、最低でも季節ごとには見てみたいものです。
とは言いつつ、旅行に行くと見ていない庭を見たくなるものですが・・。
京都に限らず観光に行くといつも思うことですが、私は普遍的で伝統的な日本の庭を造っていきたい。
「崩す」というのは崩せるだけの基礎があってからこそなんだと思っています。
そういった意味ではまだまだ崩すよりは、基礎や骨格のしっかりとした伝統庭園を学んで行きたいと思っています。
やたらと決まりごとや制約が多く、伝統や形(かた)、しきたりを重んじる日本の分化ですが、それもまた日本の庭園造りの面白さだとも思っています。